聖書の辛い部分

 ハイこんにちわ。
 ええっと。
 とかくキリスト教というと、俗に「山上の垂訓」ばかりが取り上げられ、それがすべてだと思われがちです。
 しかし、実際には、聖書には、人にとって、少々辛い部分があります。
 探すと結構たくさんあるんですけどね?
 今日はその一部をクリップしておきたいと思います。

 主はユダヤを去って、またガリラヤへ行かれた。
 しかし、サマリヤを通って行かなければならなかった。
 それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
 そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は第六時ごろであった。
 ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは
「わたしに水を飲ませてください」
と言われた。
 弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
 そこで、そのサマリヤの女は言った。
「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」
――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである――
 イエスは答えて言われた。
「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
 彼女は言った。
「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。あなたは、私たちの父ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
 イエスは答えて言われた。
「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
 女はイエスに言った。
「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」
 イエスは彼女に言われた。
「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい。」
 女は答えて言った。
「私には夫はありません。」
 イエスは言われた。
「私には夫がないというのは、もっともです。あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。」
 女は言った。
「先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」
 イエスは彼女に言われた。
「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
 女はイエスに言った。
「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」
 イエスは言われた。
「あなたと話しているこのわたしがそれです。」(ヨハネによる福音書4章3~26節)



※ここでイエス様は、水を汲みに来た女性の生活の問題点をものの見事に指摘して、そのあとちゃんとフォローしているのが分かります。


 ユダヤ人の過越の祭りが近づき、イエスはエルサレムに上られた。そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。
「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」
 弟子たちは、
「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くす」
と書いてあるのを思い起こした。
(ヨハネによる福音書2章13~17節)



※簡単に言うと、神殿を商売の巣にしてしまった輩にぶちきれたわけですなあ。


 兄弟たち。私はあなたがたに願います。あなたがたの学んだ教えにそむいて、分裂とつまずきを引き起こす人たちを警戒してください。彼らから遠ざかりなさい。そういう人たちは、私たちの主キリストに仕えないで、自分の欲に仕えているのです。彼らは、なめらかなことば、へつらいのことばをもって純朴な人たちの心をだましているのです。
 あなたがたの従順はすべての人に知られているので、私はあなたがたのことを喜んでいます。しかし、私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。
 平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。
(ローマ人への手紙 16章17~20節)



※特に説明は要りませんね(^^;;


 私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり、果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。
(テモテへの手紙第一 1章3・4節)



※やっぱり、特に説明は要りませんね(^^;;


 違ったことを教え、私たちの主イエス・キリストの健全なことばと敬虔にかなう教えとに同意しない人がいるなら、その人は高慢になっており、何一つ悟らず、疑いをかけたり、ことばの争いをしたりする病気にかかっているのです。そこから、ねたみ、争い、そしり、悪意の疑りが生じ、また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利得の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです。
(テモテへの手紙第一6章3~5節)



※やっぱり説明は要りませんな(^^;;。


 さてさて。
 この程度ならまだいいのですが。
 これが黙示録とか、ほかの箇所になると、もっと手厳しい言葉が書いてあります。
 覚えておいてほしいことがあります。
 山上の垂訓がすべてではありません。
 また、確かにクリスチャンは、人によっては、人が良すぎると思うほど人がよく、また本当にやさしいです。
 でも、「やさしい」と「甘やかし」は違いますよね?
 皆さん、「山上の垂訓」を後者と勘違いしていませんか?
 聖書には、本当のやさしさや、神の人に対する愛が書かれている。
 そしてそれは、時として、人にとっては叱責に満ちていると感じることもある。
 それをこのブログを読んでいる皆さんには、覚えておいてほしいと思います。
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よって、Mr.CAT。
 クリスチャンです。
 聖書に親しむことと、祈ることは忘れません。
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2014.12.30 追記
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