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健康シリーズ――霊的健康――「敵」が気づいてほしくないこと

 ハイこんにちわ(^w^)ノ。
 以前の動画で、「後日お話します」と言っていたことがありましてね?
 そのうちのいくつかをまとめてみたら……。
「「敵」が気づいてほしくないこと(^w^)」という内容にまとまってしまいました(^^;;。
 今日の更新では、
・まず動画のポイント
・参照聖書箇所
・では動画をどうぞ
という流れで行きたいと思います。

 では早速っ!!

・動画のポイント(箇条書き)
Ⅰ.アダムが罪を犯したから、神との和解のためには犠牲が必要
※ 罪=的外し(原語)=命の木の実を取らなかった
※ 生まれたままの私たちはアダムの系譜にいる

Ⅱ.イエス様の十字架の御業
(1)十字架における死と復活=旧約の燔祭の集大成
   この真理を受け入れるなら、神との和解が成立する

(2)イエス様は死んで三日目によみがえった!!
   私たちも同様に扱われる
   神の御手の中で、自分自身と人生の再構築ができる

(3)アダムの系譜からキリストの系譜へ
 ※ 神殿の幕が裂けるのと前後して、イエス様は十字架の上で息を引き取られます。(マタイ27:50 マルコ15:39 ルカ23:46参照)
 ※ 幕=ケルビムが刺繍された聖所と至聖所を分ける幕
 ※ ケルビム
「こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(創世記3章24節)」


Ⅲ.「罪赦されて、恵みに預かった、無力な求道者」ではなく、神のDNAを宿した新生生命体!!!!
※ 父・子・御霊 三位一体の神
  → 御霊は私たちの中に派遣されている!!
  → 神のDNAを宿している!!!!
  参考:からし種のたとえ

Ⅳ.私たちの意図・意志によらずまた行いにもよらず、生まれる前から神の御計画において選ばれていた。 → 必ずそうなる!!!!




・この動画で出てくる参照聖書箇所
(順番は話の流れに沿っています。)


「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。
 彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。神のひとり子の名を信じることをしないからである。
 そのさばきというのは、光がこの世にきたのに、人々はそのおこないが悪いために、光よりもやみの方を愛したことである。
 悪を行っている者はみな光を憎む。そして、そのおこないが明るみに出されるのを恐れて、光にこようとはしない。
 しかし、真理を行っている者は光に来る。その人のおこないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。(新約聖書 口語訳 ヨハネによる福音書3章16節~21節)」



「それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。
 わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストと共に十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。
 それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである。
 もしわたしたちが、キリストと共に死んだなら、また彼と共に生きることを信じる。
 キリストは死人の中からよみがえらされて、もはや死ぬことがなく、死はもはや彼を支配しないことを、知っているからである。
 なぜなら、キリストが死んだのは、ただ一度罪に対して死んだのであり、キリストが生きるのは、神に生きるのだからである。
 このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。(新約聖書 口語訳 ローマ人への手紙6章3節~11節)」



「こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。
 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。
 律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を、神はなし遂げて下さった。すなわち、御子を、罪の肉の様で罪のためにつかわし、肉において罪を罰せられたのである。
 これは律法の要求が、肉によらず霊によって歩くわたしたちにおいて、満たされるためである。(新約聖書 口語訳 ローマ人への手紙8章1節~4節)」


「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。
 しかし、すべてこれらの事は、神から出ている。神はキリストによって、わたしたちをご自分に和解させ、かつ和解の務をわたしたちに授けて下さった。
 すなわち、神はキリストにおいて世をご自分に和解させ、その罪過の責任をこれに負わせることをしないで、わたしたちに和解の福音をゆだねられたのである。だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(新約聖書 口語訳 コリントへの手紙第二5章17~19節)」



「青色、紫色、緋色の撚り糸、撚り糸で織った亜麻布で垂れ幕を作る。これに巧みな細工でケルビムを織り出さなければならない。
 これを、四つの銀の台座の上に据えられ、その鉤が金でできている、金をかぶせたアカシヤ材の四本の柱につける。
 その垂れ幕を留め金の下に掛け、その垂れ幕の内側に、あかしの箱を運び入れる。その垂れ幕は、あなたがたのために聖所と至聖所との仕切りとなる。(出エジプト記 26章31節~33節)」



「初めの契約にも礼拝の規定と地上の聖所とがありました。
 幕屋が設けられ、その前部の所には、燭台と机と供えのパンがありました。聖所と呼ばれる所です。
 また、第二の垂れ幕のうしろには、至聖所と呼ばれる幕屋が設けられ、そこには金の香壇と、全面を金でおおわれた契約の箱があり、箱の中には、マナの入った金のつぼ、芽を出したアロンの杖、契約の二つの板がありました。
 また、箱の上には、贖罪蓋を翼でおおっている栄光のケルビムがありました。しかしこれらについては、今いちいち述べることができません。
 さて、これらの物が以上のように整えられた上で、前の幕屋には、祭司たちがいつも入って礼拝を行なうのですが、第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけ入ります。そのとき、血を携えずに入るようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。(ヘブル人への手紙9章1~7節)」



「こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。(創世記3章24節)」



「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。
 わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。
 あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。
 そして、行って、場所の用意ができたならば、またきて、あなたがたをわたしのところに迎えよう。
 わたしのおる所にあなたがたもおらせるためである。
 わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」
 トマスはイエスに言った。
「主よ、どこへおいでになるのか、わたしたちにはわかりません。どうしてその道がわかるでしょう」
 イエスは彼に言われた。
「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。
 もしあなたがたがわたしを知っていたならば、わたしの父をも知ったであろう。
 しかし、今は父を知っており、またすでに父を見たのである」
 ピリポはイエスに言った。
「主よ、わたしたちに父を示して下さい。そうして下されば、わたしたちは満足します」
イエスは彼に言われた。
「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。
 わたしを見た者は、父を見たのである。
 どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。
 わたしが父におり、父がわたしにおられることをあなたは信じないのか。
 わたしがあなたがたに話している言葉は、自分から話しているのではない。
 父がわたしのうちにおられて、みわざをなさっているのである。
 わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。
 もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。
よくよくあなたがたに言っておく。
 わたしを信じる者は、またわたしのしているわざをするであろう。
 そればかりか、もっと大きいわざをするであろう。
 わたしが父のみもとに行くからである。
 わたしの名によって願うことは、なんでもかなえてあげよう。
 父が子によって栄光をお受けになるためである。
 何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう。」
(ヨハネ伝14章1~14節)



 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。(第一コリント12章3節)



イエスは言われた。「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません。(マタイ伝17章20節)



 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。
 神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。
 これは、その愛する御子によって賜わった栄光ある恵みを、わたしたちがほめたたえるためである。
(エフェソ 1章3~6節)


 では動画をどうぞ。


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Author:Mr.CAT
 家で猫のようにのんびりするのが好き!!
よって、Mr.CAT。
 クリスチャンです。
 聖書に親しむことと、祈ることは忘れません。
 仕事は個人投資家。
 このブログはリンクフリーです。
 よろしく(^w^)。

2014.12.30 追記
 YOUTUBEにチャンネル持ってます。
 アドレスはこちら → https://www.youtube.com/user/vitanouva20021215
 ツイッターもやってます。
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